寺種について

漬け物王国日本を代表する「野沢菜」

 「野沢菜は」北信濃に位置し、温泉とスキーで知られる野沢温泉村が原産とされる。今では我が国を代表するツケナとして周年生産され、全国津々浦々で消費されている。

 「野沢菜」は野沢温泉村の健命寺の口伝によると、宝暦年間(1751~1763)当時の八世晃天園瑞和尚が京都遊学の折り、関西近辺で栽培されていた「天王寺蕪」の種子を持ち帰り栽培したことが始まりとされる。「野沢菜」と「天王寺蕪」との関連性については、その後論議されている経緯はあるが、導入以来250年近くにわたって採種と栽培が連綿と継続されてきたこと、また、その来歴が比較的はっきりしていることなど、多くの地方野菜の中でも特筆すべきツケナである。

 現在でも、健命寺領内の庫裡の南に位置する一反歩ほどの圃場では採種が継続されており、一部の種子は「寺種」と呼ばれて流通している。健命寺門前には、晃天和尚の彰徳碑とともに「野沢菜」発祥の地の碑をみることができる。寺の採種圃場では長い間、有機物の施用による地力維持に努め、結果として二百数十年にわたる連作を可能としたことも驚嘆すべき事例である。昭和30年代の一時期、根こぶ病の発生がみられたが、現在は酸度矯正などの耕種的な防除法により克服している。採種用株の播種は8月下旬に行い、間引きをしながら生育の大きな株を選抜し採種している。「寺種」による「野沢菜」は草勢も強く、栽培上求められる形質の均一性にも優れている。本来「野沢菜」は他殖性で、自殖を繰り返すと草丈や草勢が弱くなる(自殖弱勢)。「寺種」が長い間にわたって優れた均一性と草勢を維持してきた背景には、採種圃場が比較的大きく、草勢と均一性の低下をきたさないための遺伝的雑駁性を維持する選抜、採種が行われてきたとみることができる。

「野沢菜」は市販用のツケナとして、低温期から高温期まで、標高と緯度を巧みに使い分け周年生産されている。また、日本を代表するツケナとして受け入れられてきた背景には、以下の点があげられよう。生長が早く多収性を示したこと。葉質が軟らかく食味性に優れていたこと。サラダ感覚の浅漬け野菜の消費が増加したこと。山国、温泉、雪国といった原産地の風物と風景が消費宣伝に効果があったこと。早い段階からの原種の管理、大量採種が順調に進んだこと。また昭和61年1月5日付読売新聞「論点」に示された、国立療養所南横浜病院の長井盛至名誉院長による「野沢菜はガン予防に効果」など、「野沢菜」が機能性食品として優れている事も消費拡大に一役かっている。

文 長野県野菜花き試験場長 塚田元尚
長野日報選書9
からい大根とあまい蕪のものがたり
編著 大井美知男・神野幸洋より抜粋

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